2016年05月29日

思いやり中心療法では安心を感じるシステムの活性化に焦点を当てる

思いやり中心療法について学んでいます。参照の映像についてキーポイントを書いていきます。

思いやりとは変化をもたらす媒体だと考えます。思いやり中心療法は心理的なモデルです。認知行動療法や精神分析、人間主義的な考え方を使いますが、モデルでいうと心理的なモデルとなります。つまり、データや証拠は心理学的な科学から来ていて、それがコアとなっているモデルです。


また、思いやり療法ではなく、思いやり中心療法といいます。これは様々なスキルをどのように行うかということに言及しているからです。曝露療法のスキルや代替的な思考を考えるというスキル、また、社会的なスキルにしても、それを患者がサポートしてもらっていると思えるように実施しないといけません。患者がどう感じるかはセラピストの責任だとも言えます。どれだけ素晴らしいスキルを使っても、患者がサポートしてもらっていると感じないことは多々あります。

認知行動療法では役に立たない(つまり、ネガティブな気持ちを増加させるような)思考や行動を見つけます。そして、それと反対の効果を持つ思考や行動に変えます。しかしそういった思考や行動がわからない時もあります

多くの認知行動療法を受けた人が「論理は理解できるのだが、新たな思考で安心を感じられない」だとか、(例えば性的虐待を受けた人が)「自分のせいじゃないとはわかっているが、それでも、何か自分が悪いのではと感じてしまう」といったことを報告します。この認知と感情のズレが近年、特に注目を集めてきました。

私たちの思考が意味を持つには、一貫性のある感情を感じる必要があります。感情がない所に、意味は存在しないと言われます。つまり、経験に対して感情が意味をつけます。私たちが、例えば「私は愛されている」という思考を感じるためには、この思考が愛された経験とつながらなければなりません。この感情システムが動いていないと、この思考から感情は感じられません。過去に愛された経験や安らいだ経験のない人は、こういった思考を持っても感じられないのです。

思いやり中心療法では、従って、この安らぎだとか安心した感情システムの活性化に焦点を当てます。そうすることで、安心や安らぎによりアクセスしやすくなり、同時に、怒り、恐怖、嫌悪、恥といった脅威の感情をコントロールすることができやすくなります。

しかしそもそもなぜ思いやりが必要なのか?それは人生は苦しいものだからです。例えば、キリスト教の教えでは、この人生は苦しむためのもので、次の人生が楽しむためだと言います。そして、次の人生へのチケットを手に入れるには、今回の人生で特定のことをしないといけないと考えます。

仏教では四聖諦(4 noble truth)を説きます。苦(Dukkha), 集(Samudaya), 滅(Nirodha), 道(Magga) 。苦諦とは、この世界の一切が苦であることを指します。すべては一時的なものであり、すべてが生老病死を経験します。集諦とは、苦には原因があるということ(苦が現れる素のことを煩悩という)。滅諦は、苦は滅するということ。道諦は、苦を滅する方法があるということ。これが仏道だと言います。


苦の根源は何かを思いやり中心療法も考えます。思いやり中心療法では、それは、生物学的な形態にあると考えます。生物が進化する過程で、膜が作られ、内側と外側を分けました。生物の進化は、個への分化なしには、成立しません。個へと別れていくから進化する。生物学的な形態が、痛みや苦しみを形成しました。つまり、体には神経系が作られ、脳には動機、欲望、感情が作られたということです。

参照
https://www.youtube.com/watch?v=qnHuECDlSvE
posted by ヤス at 06:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 心理学理論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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